【この記事でわかること】
- 華麗なる芸能一家に生まれながらも、歌舞伎とは無縁だった市川團子の幼少期の意外な背景
- 両親の離婚や過酷な環境を乗り越え、母の陰の支えとともに歩んだ梨園入り
- 「駄馬」と酷評されたデビューから、努力で周囲を見返した熱い成長ストーリー
- 学業と芸を完璧に両立し、師匠の厳しい指導で覚醒した演技の深掘りエピソード
- 名門の危機を救い、大河ドラマ出演まで登りつめた、若きエースの現在の立ち位置
市川團子の実家は華麗なる家系!
市川團子(いちかわ・だんこ)さんは、歌舞伎界の名門である澤瀉屋(おもだかや)の直系として生まれました。
市川團子さんの実家をさかのぼると、祖父に二代目市川猿翁(いちかわ・えんおう)さん、祖母に女優の浜木綿子(はま・ゆうこ)さんを持つ華やかな家系であることがわかります。
また、父方のひいおじいさんには三代目市川段四郎(いちかわ・だんしろう)さん、ひいおばあさんには女優の高杉早苗(たかすぎ・さなえ)さんがおり、五世祖父には二代目市川段四郎さん、大叔父には四代目市川段四郎さん、大叔母には女優の市川靖子さんが名を連ねています。
私は、親族に並ぶ錚々(そうそう)たる顔ぶれを知り、市川團子さんがまさに伝統芸能のサラブレッドとして生まれてきたのだと感じました。
市川團子の父・香川照之と母の出会いと離婚の背景
市川團子さんの父親は、俳優として広く知られ、歌舞伎役者としては九代目市川中車(いちかわ・ちゅうしゃ)を名乗る香川照之(かがわ・てるゆき)さんです。
香川照之さんは、三代目市川猿之助(のちの二代目市川猿翁)さんと浜木綿子さんの長男として生まれました。
しかし、1968年1月、香川照之さんが3歳のときに両親が離婚したため、母である浜木綿子さんに引き取られました。
そのため、三代目市川猿之助さんとは40年もの間、絶縁状態にあり、歌舞伎とは無縁の環境で育ちました。
一方、市川團子さんの母親は知子(ともこ)さんという一般の女性です。
香川照之さんより5歳年下の知子さんは、元々はJAL(日本航空)の国際線でキャビンアテンダント(CA)として勤務していました。
共通の知人が開いた飲み会で香川照之さんと知り合い、1995年に結婚しました。
知子さんは元CAという経歴を持ち、息子の市川團子さんがとても整った顔立ちをしているので、ご本人もとてもお美しい方なのだろうと想像しています。
しかし、この長男の市川團子(本名:香川政明)さんが2004年に誕生したことで、状況は大きく変化します。
香川照之さんはかねてより歌舞伎役者に憧れを抱いており、息子が生まれたことで「息子を歌舞伎役者にさせたい」「猿之助を継がせたい」という思いを強めました。
そして、三代目猿之助さんの後妻である藤間紫さんの口添えもあり、香川照之さんが三代目猿之助さんの楽屋を訪れるなどして雪解けが進み、2012年6月に香川照之さんが九代目市川中車、息子の香川政明さんが五代目市川團子を襲名して梨園入りを果たしました。
この2人の突然の歌舞伎界入りにより、それまで家事と育児に専念していた知子さんの生活は一変しました。
一から歌舞伎のしきたりを覚える必要が生じたうえ、市川團子さんの踊りの稽古の送迎、パーキンソン病を患う義父の二代目市川猿翁さんとそのパートナーのA子さんとの同居生活が始まったのです。
さらに、梨園の妻たちから挨拶を無視されるなどのいじめのような状態や、伝統芸能の重鎮がブログで市川團子さんを酷評するという出来事があり、知子さんのストレスは高まっていきました。
加えて、歌舞伎中心の生活になったことで、知子さんの娘、つまり、市川團子さんの妹が寂しさから精神的に不安定になり、知子さんがつきっきりで看病せざるをえない状況に陥りました。
家庭内は香川照之さんと市川團子さんの側、そして知子さんと妹の側に分断し、家庭内別居状態となりました。
冷却期間として香川照之さんが家を出る形で別居生活に入りましたが、2年の歳月を経ても溝は埋まらず、2016年にふたりは離婚することとなりました。
なお、市川團子さんが歌舞伎役者として活動するうえで母親のサポートは不可欠であるため、離婚後も母親との関係は以前と大きく変わっていないと言われています。
私自身は、家庭環境の急激な変化や複雑な事情がありながらも、陰で支え続けてきた母・知子さんの存在があったからこそ、現在の市川團子さんの活躍があるのだと感じています。
市川團子のプロフィール
さて、ここで、市川團子さんのプロフィールについて見てみましょう。
市川團子(いちかわ・だんこ)さんは、2004年1月16日に生まれました。
本名は香川政明(かがわ・まさあき)です。
東京都出身ですが、香川照之さんの長男として母親の実家がある福岡県で誕生しました。
血液型はAB型。
身長は179cmと高身長で、小顔でスラッとしています。
屋号は「澤瀉屋」(おもだかや)、定紋(じょうもん:家紋のこと)は八重澤瀉(やえおもだか)となっています。
好きな食べ物はカツ丼とカプレーゼで、音楽では藤井風さんやK-POPを好み、BTS、NewJeans、LE SSERAFIMなどをよく聴いています。また、2025年11月からはトライストーン・エンタテイメントに所属して活動の幅を広げています。
私は、「いちかわだんご」と誤読されがちなユニークな名跡をしっかりと受け継ぎ、現代的な感性も併せ持っている市川團子さんは、とても魅力的な方だと思います。
市川團子の学歴は初等部から大学まで青山学院
市川團子さんの学歴について調べてみると、小学校は青山学院初等部に入学しています。
その後は内部進学で青山学院中等部、青山学院高等部へと進みました。
歌舞伎界には青山学院出身者が多い傾向がありますが、澤瀉屋の家庭方針として「学業はしっかり身につけさせる」という考え方が存在していたことも関係しています。
父親である香川照之さんは東京大学を卒業しており、とても努力をしました。
中学3年生のときから計画を立てて大学受験のための勉強に励んでいた香川照之さんですが、市川團子さんに対しては、「何でも学ぼうと思えば学べる」という意味を込めて「大学は行かなくていい」と語ることがありました。
しかし、市川團子さん自身は大学進学を選択しました。
高校卒業後、市川團子さんは青山学院大学文学部比較芸術学科へ進学し、2026年3月に無事卒業しました。
比較芸術学科では、あらゆる時代の「美術」「音楽」「演劇映像」という3つの領域の文化や特色を、西洋の芸術と比較しながら学習します。
市川團子さんは映像文化にも強い興味を示しており、古典芸能や映画について深く学んできました。
歌舞伎役者のなかには大学へ進学しない人や中退して芸に専念する人も多いなか、大学での学びと役者業を見事につとめて両立させました。
私は、学業と歌舞伎を高い次元で両立させようと努力している市川團子さんの誠実な向上心に敬意を表します。
市川團子は8歳で歌舞伎デビュー!当初は厳しい評価も
市川團子さんは、2012年に新橋演舞場で上演された『スーパー歌舞伎 ヤマトタケル』のワカタケル役として、五代目市川團子を名乗り、8歳で初舞台を踏みました。
市川團子さんは幼少期から歌舞伎の環境のなかで育ってきたわけではなく、他の梨園の御曹司(おんぞうし)と比較すると、8歳でのデビューはやや遅めです。
そのため、デビュー当初は周囲から辛辣(しんらつ)な評価を受けることがありました。
歌舞伎関係者のなかには、「血統は良くても、ただの駄馬」と厳しい言葉で皮肉る声すらありました。
初舞台当時を振り返り、市川團子さんは、父・香川照之さんが滝のような汗を流して緊張していたのに対し、自分自身は「幕が開く瞬間まで遊んでいて、緊張感0%なんです」とコメントしていました。
しかし、市川團子さんは、影での並々ならぬ努力を重ねることで着実に実力を向上させていきました。
そして、かつて市川團子さんを「駄馬」と酷評していた周囲の関係者たちも、その成長を認め、舞台の脇で芝居を支えるようになっていきました。
私は、幼少期の重圧や厳しい周囲の声に負けず、努力によって正当な評価を勝ち取った市川團子さんの芯の強さと努力にとても感銘しました。
市川團子が従叔父・市川猿之助から受けた指導とは?
市川團子さんにとって、従叔父(いとこおじ:父親のいとこ)にあたる四代目市川猿之助さんは、師匠であり憧れの存在です。
市川團子さんが自身の大きな転機として挙げているのが、2020年1月に歌舞伎座で上演された『連獅子』(れんじし)の舞台です。
当初、市川團子さんは『連獅子』に対して「毛を振る」というダイナミックなイメージを強く抱いていました。
しかし、四代目市川猿之助さんからの指導を受けるなかで、「前ジテの狂言師としての表現や、後ジテの獅子の精になってからの表現が大切」という本質的な気づきを得ました。
仔獅子を演じるにあたっては、「谷から落とされた仔獅子が父親に向かっていく純粋な愛、そして成長の変化を大切に演じたい」と深い理解を示して臨みました。
四代目市川猿之助さんの指導について、市川團子さんは「教え方が的確で、難しい感情も自分がスッと受け取れる最善の形でポイントを見つけて教えてくれる」と語っています。
たとえば、花道で仔獅子が川の水面に崖の上の父親が映っているのを見つけた際の目の動きについて、一度頭を後ろに回してえぐる理由にもとづき、感情を乗せた動作を指導されたといいます。
また、「真剣になりすぎて、顔が怖くならないように」といった具体的なアドバイスも受けていました。
師匠から受け継いだ細やかな表現へのこだわりが、市川團子さんの演技に深い説得力をもたらしているのだと私は感じました。
市川團子は『東海道中膝栗毛』で市川染五郎と共演!歌舞伎界の未来は明るい!!
市川團子さんは、2020年、市川染五郎さんと共に人気演目『東海道中膝栗毛』に出演し、若手名コンビとして大きな話題を集めました。
市川染五郎さんが演じる梵太郎に対し、市川團子さんは政之助役を務め、4作連続でこの演目に出演しました。
劇中での若者コンビの活躍は、主役である弥次喜多コンビを凌ぐほど大きな人気を得ました。
毎年、同じ役柄でありながら異なる設定で演じることについて、市川團子さんは「何かしら壁がある」と語っていましたが、10代前半という多感な時期に毎回新しい挑戦を重ねることで、役者としての経験を深めていきました。
PRイベントとして開催された市川染五郎さんとのトークショーも、とても盛り上がりました。
切磋琢磨し合えるライバル、かつ、同世代の良きパートナーを持つ市川團子さんの姿に、歌舞伎界の明るい未来が見えると私は思います。
市川團子は今や澤瀉屋の主力役者!大河ドラマにも出演!!今後の活躍に期待♪
現在、澤瀉屋は、当主であった二代目市川猿翁さんが死去し、澤瀉屋を牽引してきた四代目市川猿之助さんが有罪判決を受け休演中という大きな試練のなかにあります。
そのなかで、澤瀉屋の直系である市川團子さんは、主力役者として舞台に立ち続けています。
市川團子さんは、祖父である二代目市川猿翁さんや叔父である四代目市川猿之助さんの芝居を見ているとアドレナリンが大放出するように感じ、自身もその世界に深く没入してしまうそうですが、そのスタイルには澤瀉屋の濃い血筋が受け継がれています。
市川團子さんは高い演技力と実力が正当に評価され、数々の賞を受賞しました。
2013年10月には国立劇場歌舞伎公演『春興鏡獅子』の胡蝶役で国立劇場賞特別賞を受賞しました。
2024年には第41回浅草芸能大賞新人賞を受賞したほか、2024年度名古屋演劇ペンクラブ賞(5月御園座『ヤマトタケル』の主人公・小碓命、のちのヤマトタケル役への授賞)を獲得しています。
また、歌舞伎のみならず、2026年にはNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』に森蘭丸役として出演。
待望のドラマデビューを果たしました。
澤瀉屋という伝統ある家系を背負いながら、歌舞伎の枠を超えて新たな領域へとチャレンジしていく市川團子さんの今後の活躍がとても楽しみですね^^

